連隊長の思い出

相続遺言書の業務をしていると、亡くなった人や親の軍隊生活に話が及ぶことがあります。(以下、依頼者さんと相続について話していたときのエピソードです。ほとんど寄稿いただいたものを私なりにアップします。)

連隊長の記念品

遺品を整理していたら、次の「連隊長閣下の記念品」という書き付けと共に、カミソリが出てきたとのことです。

 

『この西洋カミソリは昭和18年8月10日、赤坂の近衛三連隊へ入隊し、3か月で教育終わり、二等兵から一等兵になり、19年4月1日で上等兵になり、連隊長の運転手となり、連隊長の「命預り人」であると肩で風を切って近衛三連隊の中を歩いた。

連隊長が「△△△(氏名)、髭が伸びたなぁ。」と言われ、「カミソリがないので・・・。」と言ったらこの英国製の洋カミソリをくれた。』

というメモ書きを添えたカミソリが出てきたそうです。

 

連隊長の記念品 相続

 

連隊長の思い出 相続

 

連隊長 相続

持ち手の部分は象牙かと思いましたが、触ってみるとプラスチックのようです。英国 SHEFFIELD 製ですが、BENGALL という製品名なので、アジア仕様なのでしょう。

近衛三連隊の連隊長

昭和17年から、近衛三連隊の連隊長は藤岡政義陸軍大佐という記録があります。

晩年に書いた記録には記憶が曖昧なものがよくあって、この△△△さんが、藤岡政義大佐の運転手だったかどうか、よくわかりません。

ただ、この△△△さんは、よく戦時中に日本車はよく動かなくなったが、フォードの車は調子が良かったとたびたび話していたようです。

連隊長の運転手がどれほど名誉なことなのかよくわかりませんが、当時、自動車運転免許を持っている人は多くはなく、本当に「資格」「技術」だったようです。

当時の自動車は運転免許試験は、学科は筆記式問題2題と聞いています。よくわかりませんが、「エンジンがかからないので、ボンネットを開けてみると、・・・が・・・となっていて、・・・は・・・である。故障の原因として考えられることは何か?」という問題だったと聞いたことがあります。

また、△△△さんは、入隊前に交通事故を起こしたそうです。運転中に瓶に入った飲み物を飲んで、空き瓶を運転席の下に入れておきました。

車が走っているうち、その空き瓶が転がり出てきて、ブレーキペダルの下に入ってしまいました。これではブレーキを踏もうとしても、車は止まりません。

結局、どこかに衝突したそうです。

入隊が決まっていたので、警察から事情聴取を受けることはなく、正式な入隊後、憲兵隊から呼び出し状がきました。

連隊長が、

「△△△、憲兵隊から呼び出しがきているが、呼ばれる心当たりはあるか?」

と尋ねるので、

「入隊前に交通事故を起こしました。」

と答えると、連隊長は、

「罰金は払えるのか? 払えなければ俺が出しておくが・・・。」

と言ってくれました。

「いえ、自分で支払えます。」

と答えましたが、連隊長の心遣いが嬉しかったようです。

 

その後、△△△さんは陸軍航空隊所属となり、主として敵潜水艦の爆撃をしたそうです。

潜水艦は上空からなら肉眼でよく見えるそうです。操縦士と通信士がふたりで乗り込むのですが、△△△さんは体が大きくなく体重が軽く、早く所定の高度に達するのに有利だったそうです。体格の良い人が搭乗する飛行機とはかなり速度が違うのだそうです。

△△△さんは通信担当でした。晩年も機械いじりが好きだっだそうです。