母と渡った綱島の橋
(依頼者さんと相続について話していたときのエピソードです。両親は離婚。ご本人の了解を得て、多少アレンジして書いてあります。下の写真は現在の橋です。)
多分私が小学校に入る前だったので、5歳くらいの時ではないでしょうか。
東急東横線の綱島駅を降りて、鶴見川を渡りました。
渡ってから、どこへ行ったのかわかりません。
私は母に連れられて行ったのですが、母が綱島駅で降りる用事には思い当たることがありません。誰かに会いに行ったのか、買い物に行ったのか。
鶴見川を渡って買い物に行くところが当時あったとは思えません。知り合いが住んでいたことは考えられます。
当時、母は家で内職をしていましたから、その内職で仕上げたものを届けに行ったり、材料を受け取ってきたのかもしれません。
今考えると、内職の関係で綱島へ行ったというのが一番もっともらしい感じがします。
現在は、この橋を車で通過することはあっても、歩いて渡ることはありません。もう何十年も歩いていません。
今、思い出すと、母とこの橋を歩いたのは一度ではありませんでした。おそらく2度か3度は渡っています。コンクリートの橋で、車道の両脇には歩行者専用道がありました。欄干は私の背より少し高いか、ほぼ同じくらいだったでしょうか。欄干はセメントを塗って、ごま粒よりやや大きな石を一面に振りかけたような造りです。今はきっと鉄パイプとか鉄板でできているのではないでしょうか。欄干に手を当てて、ザラザラする感覚を覚えています。時々、欄干のザラザラを触りながら、長い橋だなぁと思いながら歩いたと思います。
私はその日、買ってもらって間もない黒い野球帽をかぶっていました。ジーパンを買っても、靴を買っても、すぐに体に小さくなるからと、たいてい少し大きめのものを買うのが常でした。
その野球帽は、やや大きいを通り越してブカブカでした。
その日はとても風が強くて、行くときは何とか帽子を押さえて、体を前のめりにして歩きましたが、帰りに疲れてきました。帽子を押さえているのが面倒になりました。
「お母さん、帽子が飛びそうだよ。」
「普通にしていれば、意外と飛ばないのよ。そんなに気にしなくていいのよ。」
そこで、思い切って手を離すと、その瞬間に帽子は飛ばされました。
「あっ!」
欄干から背伸びをして、買って間もない、飛んでいく黒い帽子を目で追いました。
取りに行けるかな、いや、だめだろう。
買ってもらって、まだ1日か2日しかたっていないのに。
しっかり押さえていればよかったなあ。
せっかく買ってもらったのに、お母さんに悪いことしちゃったなあ。
「飛んじゃったね。押さえていなくても飛ばないなんて、お母さんが言ったんだもんね。また、買いに行こうね。」
それから、渡り終わるまで何もしゃべらなかったと思います。
母も黙ったままだったと思います。
今でも綱島に何の用事があって歩いていたのだろうと時々思い出します。
(離婚した母に遺言書はありません。相続のことなど何も考えていなかったでしょう。晩年は、記憶力が衰えたせいか、まったく事実と異なることを言うことが多くなりました。)
注:この話に出てくる橋は「大綱橋(おおつなはし)」だと思います。下は平成30年6月の大綱橋です。
彩行政書士(saigyosuei)から: せっかく買ったものを失くしてしまう、壊してしまうというのは、幼い頃、かなりショックです。お子さんもお母さんも、お互いの気持を考えると無口になってしまうのでしょうね。
綱島は横浜市ですが、東横線で武蔵小杉より3駅(武蔵小杉→元住吉→日吉→綱島)ですから、綱島にお住まいの方からもよくご相談を受ける馴染みのある駅です。