相続人の人格

人格者に相続争いはないのか

「人格者に相続争いはないのか」と思ったことはありませんか。

「水に方円なし、器に方円あるのみ」という言葉を聞いたことがあるような気がしたのですが、諺では「水は方円の器に随(したが)う」というようです。

ネットでは、これが実語教に書いてあるという情報があるのですが、実際に実語教を調べると、そのようなものはないようです。荀子 「君道」、 韓非子「外儲説左上」にはあります。

意味は、
「人は交友・環境によって、よくも悪くもなる。」
と解説されることが多いようですが、もとの意味は、
「君子というのは水を入れる器のようなものだ。そして、人民というのはその器の中の水のようなものである。器が四角形ならば水も四角形になり、器が円形ならば水も円形になる。」
ということだそうです。

なぜこんなことを話題にしたかというと、
「わが家に相続争いはないはず」、
と思っている人が多いですが、相続人がどういう「器」の中にいるかで、その相続人の考え方も性格も変わります。
上に述べた「君子」を「被相続人(亡くなる人・遺言書を遺す人)」に置き換え、
「人民」を「相続人」に置き換えても、うまく当てはまると思うからです。

「相続は遺言者によって円満にもなるし、喧嘩にもなる。」

相続分が少ないなら少なくても仕方がないですが、不公平だとカドが立ちます。相続財産をごまかしたりする人がいると、ニコニコしていられないでしょう。神経をトガラせたくはないのですが、トガッてしまうし、言葉遣いも態度もトゲトゲしくなるかもしれません。
カドばった相続人たちの間に入ってしまった他の相続人も、カドばってしまうのです。

よい「遺言書」を作成する

カドばった遺言書は結構多いです。
相続全体を丸く収めるには、何のための遺言書なのかという考え方にもよるのですが、基本的には、今はもう存在しないはずの「家督相続」「家制度」を基本に考えて、必要な箇所だけ修正するとよいと思います。

とはいっても、法定相続分にしたがって、配偶者が2分の1、あとの2分の1を子どもたちで等分に分ける、というのが現在の法律ですから、昔よりもトラブルは増えているはずです。特に、不動産の分け方が困ります。

私たちは江戸時代や明治時代の実際の暮らしを教えられていないので、家督相続の実態もわからない人が多いでしょう。
明治時代は世界情勢が厳しかったせいか、人々の暮らし方も厳しかったようです。しかし、江戸時代は結構伸びやかに暮らしていたようです。江戸は世界的にみても、最大級の町ですし、経済的にも文化的にも充実していました。

その時代の考え方は、まだ日本人の心の中に残っているようです。
今となってはトンチンカンなものもありますが、相続の考え方の基本は「江戸時代」がよいと思っています。
「跡継ぎ」「跡取り」になる人は、いろいろな財産や権利を受け継ぎますが、また大きな責任を負います。財産の独り占めは許されず、跡取り以外の兄弟姉妹の「身元引受人」「保護者」のような役目もしたようです。

人格者であっても、神ではない

日常、人柄の良い人でも相続など大きな話になると、日頃の大らかさがなくなることがあります。神様ではないので仕方がありません。また、自分ひとりではどうしようもなく、周囲に影響されます。同じ兄弟姉妹でも、性格はかなり違うかもしれません。

周囲の影響を受けてしまいそうなら、なるべく接触しなければよいのです。直接の面談・電話での協議を避けて書面を使いましょう。今の時代ですから、少なくともメールがよいと思います。

また、要所要所で、中間報告としても書面を作成し、重要な点は内容証明郵便あるいは確定日付のある書面などを用意するとよいでしょう。

直接、相手に送付したくなければ、書類作成の専門家である行政書士がお手伝いします。

 

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